夕方の空
 コーヒーは突如として駆けだした。
 そして、5秒後。チャイムが鳴り響き、和錆も玄関に駆けだした。
 念のため来客を確認してから、急いで扉を開ける。すると、コーヒーが待ってましたとばかりに、来客に飛びついた。
 夕日を背景に立つ、黒い髪の少女。
 月子である。学校の白い制服と同じように白い頬を、赤い陽が美しく照らしている。
「コーヒー、こんにちは。えらいわね」
 片手に学生鞄、もう片手には買い物袋。
 ちぎれそうなほどぶんぶんと尻尾を振るコーヒーを、だが月子は荷物もそのままに撫でた。
 コーヒーにくわえられたぴーちゃんを受け取って、制服のポケットに入れる。
 和錆はそんな様子を眺める間もなく、月子からそっと鞄と袋を取った。
 月子は顔を上げて、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。和錆も、こんにちは」
「こんにちは。さあ、あがって」
「うん」
 月子が上がるのを待って、2人と2匹は家の中へ入っていった。
 和錆は台所まで来ると、持っていた買い物袋の中身を開けて、クッキングテーブルの上へ材料を仕分け始めた。
「わたしがやるからいいのに」
「このぐらいはさせてよ」
「もう」
 仕方ないなあ、という顔で月子は笑うと、鞄からエプロンを取りだした。
 ピンク色のシンプルなそれを身につける。
 仕分けの終わった和錆が顔を上げて、向き直った。動きが止まる。
「月子さん、すごく……可愛い」
「ばか」


 少し頬を染めて、月子はキッチンに入った。
 長い髪を手早くまとめて結い、和錆の仕分けた材料を手にとって調理し始める。
「他にやることはある?」
 手を止めて、やや不満げに和錆を見る。
 だが、自分の足下にコーヒーがぴったり寄り添って座っているのを見ると、表情を崩した。
「じゃあ、和錆はお皿を出して。
 コーヒーは、和錆が変なことしないように見張っててね」
「わかったよ。ほら、コーヒー、月子さんの邪魔になるからこっち来い」
 コーヒーを促して、和錆は一端その場を離れた。


 次第に、猫野家にいい匂いが漂い初めた。
 和錆は顔を緩ませながら、月子の言う通りに棚から食器を出していく。もちろん、コーヒーとぴーちゃんの分も忘れない。
 テーブルを拭き、フォークやスプーンを並べて、月子と一緒にメインの皿をテーブルに運んでいく。
「新しいレシピ?」
「うん。学校で習ったのが美味しかったから、少しアレンジしてみたの」
 コーヒーに『待て』をさせて、テーブルの隣に器を置く。ぴーちゃんの分は、更にその隣に。
 そして二人揃って席に着く。
「いただきます」
「いただきます。コーヒーとぴーちゃんも食べていいよ。待ててえらいね。『よし』」
 勢いよくコーヒーが器に口を入れるのを見て、月子は微笑んで自分も食べ始めた。
 月子が食べるのを見て、和錆も食べ始める。
「これ、おいしいね」
 スープをすくって口に入れた和錆がそう言うと、月子は安心したように笑った。
「よかった。本当は少し、緊張していたの」
「おいしいよ、すごく」
「ふふ、和錆ありがとう」
 コーヒーのこと、学校のこと。
 他愛のない話を交えながら食事は進み、
「あのね、コーヒーのおやつを買ってきたんだけど……」
 ひとつの話の区切りがついたタイミングで、月子は言い出しにくそうに口を開いた。
 先を促すように、和錆が相槌を打つ。
「おばさん、1わんわんしか払ってないのに、2袋くれたのよ。
 返したんだけど、「勘定は合ってる」って言って受け取ってくれなくて。
 それに、なんだかじっと見られていた気もするの。和錆、おばさんに何か言った?」
「何も……、あっ」
 思いついたように声を上げて月子の服を見て、和錆は笑った。
「なあに?」
「おばさんなりの気遣いだと思うよ。明日休みだし、一緒にお礼を言いに行かない?」
「うん、そうしましょう」
 月子も笑って、しかし「でも」と付け加えた。
「お菓子、どうしたらいいかしら。2袋は食べ過ぎよね」
「俺も買ってきてるから3袋だね。
 明日、俺もおやつに食べるよ。ジャム付けて食べたらうまいと思う」
「じゃあ、わたしも。紅茶を入れて、みんなで食べましょう」
 月子は今度こそ心から微笑み、嬉しそうに言った。
 しばらくして食事を終えると、月子は和錆が止めるのを振り切って食器を洗って片づけた。
 更に少し厚手のカップにお茶を煎れると、コーヒーやぴーちゃんも一緒に、また談笑し始める。
 そうしている内に夜も更け、時計を見た月子ははっとしたように和錆を見た。
「いけない。そろそろ帰らないと」
「送るよ」
「うん、ありがとう」
「俺の方こそ、今日はありがとう。結局全部やらせちゃって」
「いいの。わたしがやりたかったんだから。それなのに、和錆ったら」
 コーヒーはいつの間にかリードをくわえてぴーちゃんをお供に付け、月子の足下で待機していた。
 月子はリードを受け取ってコーヒーにかけた。
 コーヒーは嬉しそうに月子にすり寄る。
「よしよし、いいこね。ぴーちゃんも」
 ぴーちゃんの頭を撫で、ポケットにぴーちゃんを収めると、月子は立ち上がった。
「じゃあ、行こうか」
 月子は頷き、和錆に先導されて家を出て行く。
 コーヒーは月子を引っ張ったりはせず、月子の顔を時折見上げながら、歩調を合わせて隣を歩いた。

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